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「正直なところ、かなりぎりぎりのところではありますが…多分、問題ないと思います」
高い幹の上、茂った葉の陰で、野兎と蜜蜂はそう言葉を交わした。
日が落ちきって、幾刻か経ったときのことである。かなり離れたところにある屋敷の様子を窺っている二人を見るに、それが任務の一環であるということはすぐにも察せようものだった。
蜜蜂はその手に撒菱を構え、標的に狙いを澄ます。
「……」
幾ばくかの緊張感の後、けれど次の瞬間には弾き出されていた撒菱は、確かに屋敷の門兵の首元に命中した。
「ご苦労様」
撒菱に塗ってあった毒で、門兵は後二刻は目を覚まさないはずだ。
門兵の影が、地面にどうと横たわったのを視認した野兎は、顔はその方向に向けたままに蜜蜂にそう声を掛けた。
「いやはや、蜜蜂くんのその忍法にはいつも感服させられるよ」
「お褒めに預かり光栄です。…ところで、黒音さん」
ん、と短く返事をして、野兎は振り返る。
野兎を呼び止めた理由も、些細なそれだとは蜜蜂にもわかっていた。それでも呼び止めた意図も理解しながら、蜜蜂は言葉を続ける。
「僕にこの任務が回ってきたのは随分と急な話でしたけど、何かあったんですか?」
「単に、この任務を請け負うはずだった鳳凰さんが、所用で出られなくなっちゃっただけ。それで急遽私が行くことになって、蜜蜂くんに同行してもらったってことだよ」
「この程度の任務なら、黒音さんひとりでもどうにかなったんじゃないですか?」
「んー…確かに何とかならないこともないんだけど…今回は絶対に隠密裏に事を運ばなくちゃならないから、念には念を」
一拍置いて、野兎はこう付け足した。「まぁ、依頼主があの奇策士さんだからねぇ」
その言葉を受けて、蜜蜂は納得した。なるほど、確かに彼女が相手では、手を抜いた仕事をするわけにもいかない。
「確かに…他の皆さんの忍法では、目立ち過ぎる嫌いがありますね」
そんな蜜蜂を満足気に見て、野兎は懐から懐紙に包まれた脇差を取り出した。それを、右手に持って逆手に構える。よし、と呟いたところで、生温く吹いた風が草葉を揺らした。
「付き合ってもらっちゃってごめんね、蜜蜂くん。今日はもう休んでるか、何なら帰ってもいいよ」
「…ひとりで行くんですか?」
「元々、間接的にではあれど私が請け負った任務だからさ」
「………」
そこで黙り込んだ蜜蜂に、野兎は少々の疑問を抱いて、やや首を傾げた。
蜜蜂は難しそうな表情をして、野兎を見つめている。
――この人はいつもこうだ、と、蜜蜂は思う。
自分にできることとできないこと、その分別は弁えていても、それでも必要以上に他人の力を借りようとはしない。己の力を過信しているという風でも、ない。
きっと、ただ単純に、彼女は迷惑を掛けるという行為が嫌いなのだろうと思う。
…まぁ、僕が彼女の『後輩』であるという事実も、それに一役買っていることに間違いはないんですが。
蜜蜂は少しだけ、自嘲するように笑った。
野兎には彼の意図を察することはできず――蜜蜂が何か行動を起こす風もないので、そろそろ任務へ向かおうと木の枝の上で踵を返したときだった。
「黒音さん」
蜜蜂は、野兎をそう呼び止めた。
「この屋敷…門兵なんかを置いているあたり、警備には多少なりと気を遣っているようですね」
「ん…まぁ、しのびの一人二人はいるかもしれないね」
「標的に辿り着く前に、戦闘になるという可能性も」
「ないとは言えないよ」
月の光は茂った葉によって遮られていたので、野兎には蜜蜂の表情を知る術はなかった。なので同時に、彼が次に紡ごうとしている言葉も、察することができなかった。
「でしたら、僕も同行します」
その言葉に、野兎は『え、』と声を漏らし、蜜蜂の目を見て、そのまま続けようとした。先程蜜蜂が言った通り、この程度の任務なら、野兎ひとりでもどうにかなる範疇の話だ。わざわざ蜜蜂が同行するまでもない。
けれど、そう言おうとした野兎を遮るようにして、察したようにして、蜜蜂が口を開く。
「女性をたった一人で危険な場所に向かわせるわけにはいきませんよ」
「いや、でも…蜜蜂くんに迷惑が」
「それに、この状況で黒音さんを置いて帰ったりしたら、鴛鴦さんにどやされますから」
野兎が言葉に詰まったのを見て、蜜蜂は腰に差した大太刀に手を掛けた。
うぅ、などと唸っていた野兎だったが、ここで問答していても仕方がないと悟るのに、そう時間は掛からなかった。
「…わかった。じゃあ、よろしく頼む」
「ええ」
よく見えないことに変わりはなかった。しかし今度は、野兎にも蜜蜂の表情を察することができた。恐らくきっと、彼は満足気に笑っているのだろう。
「しっかり守ってみせますよ、黒音さん」
そのとき、ざわりと風が吹いて、一瞬だけ、月の光を遮るものが無くなった。蜜蜂は、案の定、野兎の目を見ながら口元に笑みを湛えていた。
この後輩にはどうにも敵いそうにないと思いながら、野兎は唇を尖らせつつ蜜蜂の目を見ることをやめた。
月は閃く
掠れるように頼りない声は、それさえもぎゅうと強められた彼の腕によって、温かいその鎖骨の辺りに吸い込まれていった。
どうしてこういう状況になったのか、未だよくわからなかった。
今日はいつもより月が綺麗だったというだけの、いつもと変わらない、いつも通りの一日だったはずだ。何故今日に限ってこんな真夜中に鳳凰さんの部屋を訪ねようと思ったのかはわからないけれど、
ただわかるのは、私には鳳凰さんに抱き締められているというこの状況を享受する他ない、ということだけだ。
どうしていいのかわからない。
単純に、それだけの理由であるのだけれど。
「鳳凰さん、…鳳凰さん」
鳳凰さんは私の言葉に応えない。
私自身も、ただひたすらに彼の名前を呼ぶ。それ以上の言葉が続かないのだ。何を言っていいかわからないというよりも、他に何も言ってはいけないような、そんな気がする。
鳳凰さんの部屋は真っ暗だった。そんな中、密着しているふたつの体から、それぞれの心音がやけに鮮明に耳に届く。
とくん、とくん、とくん、とくん
ああ、私も鳳凰さんも生きているんだな、なんて、どうしようもないことを考えてみたりして。
不意に、私の背中に回っていた鳳凰さんの腕の力が少しだけ弱まった。
見上げた鳳凰さんの目の中は、色んな色が綯い交ぜになって、その考えは読めそうもない。
でも、少し、かなしそうだった。
ふとして、その目に映っているのも他でもない私の目であることに気付く。私自身も、不思議なことにかなしそうな目をしていることにも気が付いた。
今も尚私の背にある鳳凰さんの手のひらは、思っていたよりもずっと大きかった。
「…もう二度と、お前を離したりはしない」
そう呟かれた声は、鳳凰さんのそれとは到底思えないほどか細いものだった。
鳳凰さんは私の唇に自身のそれを重ねる。
私の中の、いつかどこかの頭が疼く。不思議なのは、私自身も彼と同じことを望んでいることだった。
頽廃的な恋をする
大谷吉継は、目下に広がる兵共にその黒い眼差しを向けた。
切り立った崖から見える布陣は万全。兵の士気も高い。この様子でいけば、この戦で勝利を収めるのは八割方こちらの軍だろう。
できればすぐにでも進軍の采配を振りたい大谷であったが、そうはできない理由はひとつあった。
「…して、あれの準備はまだか」
後ろに控えていた兵士にそう問うも、それは、だの、あの、だの、曖昧な返事が返ってくるばかり。その狼狽が何に起因しているものかは、大谷自身もよくわかっていたので、兵士を咎めることなく大谷は大きく息をついた。
そのとき、がさりと傍らの草むらが揺れた。
「ぎょ、刑部さま、毒塵針の整備、終わり…ました…!」
「遅い。何をしておる」
大谷の繰る数珠のひとつが、草陰から現れた女の頭を打った。
がいん、と大きな音がして、女はその場にうずくまる。「ごおおおお…!」などと意味のわからないうめき声を上げる彼女を、控えていた兵士は心配そうに眺めていた。
「整備の何に手間取った」
大谷が彼女を見る目は、依然冷ややかなままである。
ようやく頭の痛みから立ち直った彼女は、それでもその瞳に涙を溜めながら、いかにも恐る恐ると言ったようにその口を開いた。
「いやあ…えっと、整備自体は、ものの半刻で終わったんです、けれども…」
「早に申せ」
「…ええと、あまりの人の多さに道に迷いまして…!」
がいん。
二撃目である。
しかも数珠が入ったのは先程と同じ箇所だった。奔った痛みも相当のものであったようだ。大谷は狙って行ったことなので、何も言うまいが。
「うぐおおおおお…!」
「ぬしの愚妹さには恐れ入る。あれほど下準備は万端にせよと言ったはずよ」
「痛い…痛いです刑部さま…!でももう一発くらいなら耐えられます!」
まだ何かあるのか。胡乱な目を向けた大谷だったが、彼女はその点を気にしているのかいないのかよくわからない。ただ、俯いたまま、ぼそりと言った。
「天君が言うことを聞かず、敵陣に突っ込んでいきました…!」
「やれ薬が効かなかったと見える。少々頭を冷やして来やれ」
数珠は頭に落ちなかった。けれどその代わり彼女の身体はふわりと宙に浮いて、大谷の目の前――切り立った崖のその外に、移動させられる。
「…ぎょ、刑部さま…いや冗談ですよね、まさか…」
「そのまさかよ」
次の瞬間には、全ての重力が彼女の身体に戻った。
凄まじい悲鳴が遠ざかっていくのを聞きながら、下には確か三成がいるから大事はなかろうと、大谷は深く息を吐き出した。
だいたいこんなもん
(待ちと見せ、苦しむ様をわれに見せ)
(御意!あっ間違った!)
(………)
10.11.09
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