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大谷吉継は、目下に広がる兵共にその黒い眼差しを向けた。
切り立った崖から見える布陣は万全。兵の士気も高い。この様子でいけば、この戦で勝利を収めるのは八割方こちらの軍だろう。
できればすぐにでも進軍の采配を振りたい大谷であったが、そうはできない理由はひとつあった。
「…して、あれの準備はまだか」
後ろに控えていた兵士にそう問うも、それは、だの、あの、だの、曖昧な返事が返ってくるばかり。その狼狽が何に起因しているものかは、大谷自身もよくわかっていたので、兵士を咎めることなく大谷は大きく息をついた。
そのとき、がさりと傍らの草むらが揺れた。
「ぎょ、刑部さま、毒塵針の整備、終わり…ました…!」
「遅い。何をしておる」
大谷の繰る数珠のひとつが、草陰から現れた女の頭を打った。
がいん、と大きな音がして、女はその場にうずくまる。「ごおおおお…!」などと意味のわからないうめき声を上げる彼女を、控えていた兵士は心配そうに眺めていた。
「整備の何に手間取った」
大谷が彼女を見る目は、依然冷ややかなままである。
ようやく頭の痛みから立ち直った彼女は、それでもその瞳に涙を溜めながら、いかにも恐る恐ると言ったようにその口を開いた。
「いやあ…えっと、整備自体は、ものの半刻で終わったんです、けれども…」
「早に申せ」
「…ええと、あまりの人の多さに道に迷いまして…!」
がいん。
二撃目である。
しかも数珠が入ったのは先程と同じ箇所だった。奔った痛みも相当のものであったようだ。大谷は狙って行ったことなので、何も言うまいが。
「うぐおおおおお…!」
「ぬしの愚妹さには恐れ入る。あれほど下準備は万端にせよと言ったはずよ」
「痛い…痛いです刑部さま…!でももう一発くらいなら耐えられます!」
まだ何かあるのか。胡乱な目を向けた大谷だったが、彼女はその点を気にしているのかいないのかよくわからない。ただ、俯いたまま、ぼそりと言った。
「天君が言うことを聞かず、敵陣に突っ込んでいきました…!」
「やれ薬が効かなかったと見える。少々頭を冷やして来やれ」
数珠は頭に落ちなかった。けれどその代わり彼女の身体はふわりと宙に浮いて、大谷の目の前――切り立った崖のその外に、移動させられる。
「…ぎょ、刑部さま…いや冗談ですよね、まさか…」
「そのまさかよ」
次の瞬間には、全ての重力が彼女の身体に戻った。
凄まじい悲鳴が遠ざかっていくのを聞きながら、下には確か三成がいるから大事はなかろうと、大谷は深く息を吐き出した。
だいたいこんなもん
(待ちと見せ、苦しむ様をわれに見せ)
(御意!あっ間違った!)
(………)
10.11.09